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私みたいな人が実はたくさんいた!

  • TOMOKA
  • 2020年10月20日
  • 読了時間: 4分

前回からの続きです。

私という人間。のエッセイの内容です(*^^*)


少しブログでも触れたことはあるけれど私は学校でいうと浮いていた?というよりは空気みたいでいるのかいないのか?くらいの人だったと思う。

みんなの輪の中に入れない。また偶然輪の中にいたとしても話にうまく入っていけない。そんな小学生。


中学生になると二年生が終わるころまではそんな感じ。

二年生の終わりごろ、その時の親友だった友達とある事件を起こしたのだ。

これは親と当時の友達、学校関係者しか知らないと思う。 このことはずっと口に出したこともなかったし、これからもないだろう。

多分引かれまくるから。ちょっとすごすぎるので、これからも遠慮しておきたい(笑) (決して傷害事件ではありません、笑)

その事件の内容は別として、当時の先生はびっくりしていたらしい。


「あの○○が?」と。

信じられなかっただろう、私がそんなことするはずがないと。

多分学校でもこれを実行した人はそれまでもその後もいないはず。


私はその時期すごく冷静だった。その事件の最中も、事件の後も冷静だった。 あれは私だったのだろうか?というくらい。あまり感情がなかったし、別のところで坦々と経験してるって感じだった。


多分、他人に迷惑をかけるということがあるならば、この時経験した。

本当に迷惑と心配を一方的にかけてしまった。

私が言うのもなんだけど、これを経験してよかったと思う。

大人になって一方的に人に迷惑をかけることはあまりなかっただろうから。


中学生は卓球部に入って、1年生の時は鬼のようなトレーニングばかり。

2年生は1年生のトレーニングの世話、3年生はゆるーい空気の中卓球をする(笑)。

1-2年生は先輩の球拾いはもちろん、台で打たせてもらえるのは2年生に入ってからというくらいあまり打たせてもらえなかった。でも人数が少なかったのでぎりぎりレギュラーにはなっていた。


試合になると、私は負けることがほとんどだった。

争うのが苦手。卑怯な場所に(笑)、球を打つことがあまりできなかった。

それはそれでよかったのだ。レギュラーを決める試合も友達を蹴落として勝ちたいとも思わなかったし、他の学校との練習試合でも勝つ気満々の相手を見たら勝ってほしいなって思っていた。変な子だった。


だから負けても悔しくなかった。喜んでる相手を見るほうが幸せだった。


部活の時の話題はずっと恋愛話ばかり。

どの子がどの子を好きなのか分かっていて、みんなで協力したりする(笑)。

たまにお互いにおせっかいも。部活の時間はそれなりに楽しかった。


でもあるとき、もともと仲が良かった子が機嫌を損ねて、私が違う子と仲良くなりだしたのが気に入らなかったらしく、「私とAとどちらをとるの??」ともともとAと仲が良かった子も一緒に言ってきた。こういうのあるんだな!っていうくらい、私のもともと仲がよかった幼馴染は色々な人生の試練を私に教えてくれた。 私とAはお互いを選ぶ。と彼女たちに伝えた。彼女たちは無言で去っていった。

その後私とAは仲良くなっていき、精神的にもつながっていく。



中学校は部活だけが楽しくて教室でいる時間も休み時間も大嫌いだった。

いい思い出はあまりないというより、楽しかった思い出があまりない。


一年生のときなんて仲良かった子が途中で引っ越してしまいいなくなった。

ポツンと一人きり、教室で休み時間を過ごすことも多かった。あの時はキツかった!

一年生までは優等生だったのにね。と後々先生に言われた。 勉強もガツガツするのも、真面目にやるのもやめた。 一年生の頃だったらこのあたりの高校狙えたのに。みたいに言われこともあったな。そんな学校行きたくもなかったからよかったのだ。結局私は早く働きたかったし、大学に行くなんて選択は1ミリもなかったので商業高校を選んだ。


このころから自分で何でも選択していく人生が始まる。




争うのが嫌いで、人の輪に入れない。一対一なら好き。どこか客観的に子供時代を過ごしてきた。

全く同じではなくても、私みたいな変わった子、大人になるまであまり出会ったことなかったけど、最近はネットを通じてたくさんいたのを知れた。仲間がいたのだ。


そんな人たちの過去の話とかを見ているだけで、知らない人なのに、ああだったろうな、こうだっただろうな。と勝手に想像したりする。




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